「めぐみのことば」(5/17)をアップしました2015年05月29日

めぐみのことば

ひとりの盲人のいやし」(マルコ8:22~26) 山脇正子師

4000人を7つのパンで養われた主イエス、その意味を弟子たちは、悟ることはできませんでした。マルコ福音書は、ちょうど真ん中、続くペテロの信仰告白、主イエスの受難告知の間に、「ひとりの盲人のいやし」を位置づけたことに深い意味、すなわち大切なメッセージを伝達しようとしているのです。それは、十字架への道を進まれる主イエスに対する、一層の理解と服従を促されていると言うことです。
ここで盲人が、最初に主イエスにふれられて、ぼんやりと…。再びふれられて「はっきり」と…。弟子たちの救い主、主イエス理解の姿を見せられます。
ひとりの盲人のいやしは、ペテロ、アンデレ、ピリポのふるさとベッサイダでなされました。主イエスに人々が、盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いしたのです。盲人が、自分で主イエスのところに来たのではありません。連れてきてもらったのです。仲介者は、人々です。
しかし、主イエスはこの盲人の手を取り、村の外に連れ出しました。ぬくもりの手で導き、盲人ひとりに向き合ってくださる主イエスです。盲人が、主イエスと村の外に出たと言うことは、村を背にしたのです。盲人にとって、主イエスのみなのです。
そして主イエスは、両方の目につばきをつけ、両手を彼の目に当てて「何か見えるか」と、尋ねられました。彼は、顔を上げ「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」と、第一段階の開眼経験です。それから、主イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだしました。第二段階の開眼経験です。
その盲人に主イエスは、家に帰るように促されました。完全な回復経験の中で家に帰る。この盲人も家族も最高の幸せをいただいたことでしょう。
私たちも、主イエスをはっきり見させていただき、ついて行くものでありますように。