「めぐみのことば」 (10/25) をアップしました2015年10月31日

めぐみのことば  命の糧であるイエス(マタイ7:7~12) 山脇望師

人は、オギャ-と生まれたときから、求め、捜し、叩きはじめます。それは、生きるために母親のお乳を求めることから始まるといったらよいでしょう。人は、自分を生かし、喜ばせ、夢と幸福を与えてくれるものを求めるのです。人間の歴史は、まさにその繰り返しです。
何が、パンや魚のような働きをしてくれると信じて求めたのでしょうか。科学の働きがあります。今年も、日本人の中からノ-ベル賞を受賞する方が起きました。大きな貢献をされたのです。経済の働きもそうでしょう。主イエスは、「たとえ、悪い者であっても」と言います。そんな人でも、自分の子には良いものを備えるというのです。
ところが、生かしてくれると信じて求め、探してきたパンや魚のようなものが、いつの間にか、求めていない「石」や「蛇」になりませんか。命にならない、かえって毒をもって殺してしまうような働きをするのです。ダイナマイトは、戦争の武器になり、毒蛇のようにどれほどの人を殺してきたでしょう。放射能は地球を汚染し…と。これは、また他人ごとではありません。私たちは、「石」や「蛇」を与えられ多くの傷を受けました。しかし、同時に私たちも、同じことをしているのです。これを、謙虚に認めて悔い改めなければならないのです。
その中で、主イエスは天の父が与える「良きもの」を求めなさい、と語ります。それは、主イエス・キリストです。「わたしは命のパンである」と語るように「パン」であり、命を与える「魚」です。
けれども、残念ながら何と多くの人々は味のない、堅く冷たい無味乾燥な石のように、人を殺す蛇のように、主イエスを受けとめていることでしょう。「人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」と、語られます。主イエスによって私たちの求め、捜し、たたく以上のことをしていただきました。それゆえに、人にできるのです。