「めぐみのことば」 (10/4) をアップしました2015年10月15日

「豚は真珠をわからない」(マタイ7:6) 山脇望師

皆さまは、犬や豚に「真珠」のような尊い高価なものをあげることはしないでしょう。それをしたら、噛みついてくるか、踏みつけてしまうだけです。それなのに、主イエスは「投げてやるな」と語ります。この言葉の背後に、「あなた方ならそんなことをするはずがないでしょう」という意味がこめられているのです。なぜなら、あなたは「人」だからです。
ここで語る「真珠」は、他でもない「主イエスご自身」を指しています。「主はわたしたちのために命を捨ててくださった」と、すべての人の罪を赦し、神の子としてその祝福に生きるために、最善のことを行ってくださる主イエスです。真珠と比較にならない主イエスです。
しかし、そんなはずのないことが、起きているのも現実です。ヤコブの兄のエサウです。空腹で帰り、ヤコブがあつものを作っており、「神の祝福で空腹を満たせない」と、「あつもの一杯」と、長男にだけ与えられている、「神の祝福」とを、取り替えてしまいます。また、人となられた救い主イエスを、「悪霊のかしら」と、十字架に呪いました。まさに、豚が真珠を踏みつけたような振る舞いです。
この姿は、決して豚だけのことではありません。あり得ないことが、人の世界の中において行われているのです。使徒パウロは、主イエスの価値を知らないとき、主イエスを「ふん土」、すなわち汚い言葉を用いるなら、「糞」のように踏みつけました。しかし、主イエスの本当の姿を知ったとき、「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに…」と告白したのです。
犬のように主イエスに噛みつき、豚のように踏みつけることがありませんように、と心から願います。なぜなら、神の目から見たなら、それは、犬や豚と全く変わりない姿であるからです。こんな事を書きますと、噛みつかれそうですが、あえて語ることをお許しください。神がこのように語るのですから。