「めぐみのことば」 (1/3) をアップしました2016年01月10日

めぐみのことば

福音は人によるのではない(ガラテヤ1:6~9) 山脇望師

お正月には、おせち料理をいただきます。縁起の良い料理が並べられています。その中で目につくのはやはり「鯛」でしょう。「メデタイ」というのでしょう。
おせちの重箱だけでなく、人の心の中には多くのタイが泳いでいます。「しあわせになりたい」「良い成績を取りたい」「合格したい」「…したい」など。この「鯛」が実現していくことを願い、努力します。
アメリカで、東海岸にある水族館が西海岸より魚を運ぶことになりました。ところが、到着した時には魚が弱ってしまうのです。それで、その中に「タコ」を入れたのです。おかげで水槽の魚は、タコに食べられないようにと、逃げ泳いでいて元気でした。
この心の水槽に泳いでいる多くのタイが元気で、その願いを実現するために取り入れるのが、「律法」という「タコ」なのです。「…しなければならない」「…すべきである」「…してはならない」と、タイを追いたて、目的を実現させようと言うのでしょう。
しかし、神様が心の水槽に送られたのが「魚」です。「イクトゥス」(イエス・キリストー神の子 救い主の頭文字をつづる)と、初代教会の迫害の中、クリスチャンがお互いを知り合うために用いた隠語です。まさにこの魚、すなわち主イエスは、私たちの命の「食料・エサ」として送られたのです。
ガラテヤの教会の人々は、「イエス様」を信じると同時に、「律法」を忠実に守り行うことが、神の祝福に生きる条件であると教えられていたのです。もしそうだとしたら、神の働きも大切、人の働きも大切と、主イエスによる救いも、恵みではなくなってしまいます。関心は、人に向かい、人を喜ばせることになります。
主イエスの働きによって、完全にタコ、すなわち律法の働きから解放されています。主の恵みによって、生かされています。この恵みの働きに生かされて、初めて神の律法を全うすることができるのです。