「めぐみのことば」 (8/16) をアップしました2015年08月22日

めぐみのことば

隣人とはだれのことですか」(ルカ10:25~37) 山脇正子師

主イエスに律法学者が、「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と、質問をしました。私たちは、過ぎゆかない永遠のものを問題にします。私たちは死を経験し、病気になり、多くの課題に直面し、ある時は孤独、不安を経験するからです。それ故、永遠に残り生命溢れたものを求めています。しかしそれは、神の言葉以外にありません。
主イエスは、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と、質問されました。彼らは、「…主なる神を愛せよ。…自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」と答え、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」と言われます。すると彼らは、「わたしの隣り人とはだれのことですか」と、尋ねました。
そこで主イエスは、慈悲深いサマリヤ人の話をされました。「ある人がエルサレムからエリコに行く途中、強盗どもに襲われ、着物をはぎ取られ、傷を負わされ、半死半生なっていた。そこに祭司が…。この人を見ると向こう側を通って行ってしまい、次にレビ人も同様に、向こう側を通って行ってしまった…と。ところが、サマリヤ人がこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注ぎ、包帯をした」と言うのです。敵対関係にあるユダヤ人に対する愛の行為です。しかも「彼を家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱し、翌日デナリ二つを取り出し宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った」と言うのです。主イエスは、だれが隣り人になったかと尋ね「あなたも行って同じようにしなさい」と、求められました。
この主イエスこそ、他でもない慈悲深いサマリヤ人なのです。ご自分を犠牲にし救いの道を開かれました。私たちは救われました。私たちも、苦しむ者の現場に共に立ち、荷を負い隣人になれますように。