「めぐみのことば」(11/1) をアップしました2015年11月11日

めぐみのことば 「いのちにいたる門は狭い」(マタイ7:13~14) 山脇望師

「狭い門」という言葉は、「入りにくい」「窮屈」「見つかりにくい」「堅苦しい」という印象を与えます。「狭き門」(フランスの作家アンドレ・ジッド著)の作品の中のアリサのように、愛する人から去り、この世の幸いを捨てて修道院の生活を選び、その中で静かに死んでいく生涯を思い起こします。それであっても主イエスは、「狭き門から入れ」と語ります。なぜなら、「命にいたる門」だからです。聖書には「門」に関わる出来事、言葉が紹介されています。
「これは天の門だ」(創世記28:17)とさけぶ門です。父を欺き、兄の受ける長子の特権を奪い、憎しみを買って伯父のところに逃亡する時、孤独と恐れに満ちている時「主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」を経験するのす。この所からヤコブは、神が共にいまし、神の守りをいただき、神の祝福の歩みを開始します。
「わたしは門である」と、主イエスの門があります。これも狭い。野宿して、夜檻に入って休む時、羊飼いがその入口に体を伸ばして休み、外敵から羊を守り、時には身の危険を顧みないで戦います。それだけではなく、そこから牧場に出て行くときは、1頭ずつ名を呼んで数えます。門は1頭だけ通れる狭さであり、ここを通る時、自分の名前を呼ばれることによって、自分を確認し、守られ、生かされる保証を得ます。まさに、「狭さ」は「命」です。それゆえに、「狭い門から入れ」と言われるのです。
「美しの門」(使徒3:1~)があります。生まれつき足の利かない人がそこに置かれ、同じイスラエル人であっても中庭には入れず、遠くから神の言葉を、神への賛美を聞いているだけでした。その区別するのが、美しの門です。何と狭い、窮屈な門でしょう。しかし、そこは「主イエスの名によって歩きなさい」と、復活の主イエスによる恵みの働きをいただくところ、神のみ言葉、神への賛美を心から感謝し、礼拝するものとされ、命にいたる門となりました。