「めぐみのことば」(11/15) をアップしました2015年11月22日

めぐみのことば

だれが救われることができるのですか(ルカ18:18~30)山脇正子師

主イエスを尋ねて来た役人は、青年役人でサンヘドリンの議員、或いはパリサイ人ではないかと言われています。それでありつつ、マタイは「近寄ってきて」、マルコは「走り寄ってみまえにひざまずいて」と記していますから、主イエスをとても尊敬している真剣な姿を感じます。
しかも、律法に厳格で、地位もあり、冨もあり、健やかで、礼儀正しく、教育もあり、品性も良く、宗教的で…と言う人ではなかったでしょうか。しかし、現状に満足しないで、いかに生きるべきかをまじめに考えていた青年役人のようです。
主イエスに「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と、質問したのです。「する世界」に生きていたのですから、「する世界」に解決を見いだそうとしたのです。主イエスは、神ひとりのほかによい者はいないと言われ、戒めを守ることを求められました。彼は「小さい時から守っております」と。 主イエスはこれを聞いて「あなたのする事がまだ一つ残っている」と、足りないもの欠けているものがあると語られました。そして、「持っているものをみな売りはらいなさい」「貧しい人々に分けてやりなさい」「わたしに従ってきなさい」と、言われました。彼は、この言葉を聞いて顔を曇らせ悲しみながら立ち去りました。人は、何をしたらの世界では、永遠の命を受けることはできないのです。
人々は「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねます。主イエスは「人にはできない事も、神にはできる」と言われました。人の心を大転換させ、ひっくる返すことができるお方はただひとりです。私たちは「わたし、わたし」の人生から解放され、「神が」の世界に生きることなのです。 「だれが」ではなく、「だれも」救われ、永遠の命を受け、神の国に入ることができるのです。しかも、すべてを捨て従う者は、地上で幾倍もの祝福を受け、来たるべき世では永遠の生命を受けるのです。