「めぐみのことば」(1/24) をアップしました2016年01月31日

めぐみのことば

むだにならないために(ガラテヤ2:19~21) 山脇望師

自分の生き方、働き、考えが無駄でないようにと願います。主イエスのたとえの放蕩息子が「何もかも浪費してしまったのち」と、父より譲り受けて財産を無駄にしてしまった姿を願いません。しかし「こんなこと無駄ではないか」と思うこともあります。
パウロは、自分の命をかけて走ってきたことが無駄になるのではないかと心配しています。律法のうえでは、落ち度のないパリサイ人として、自分のすべてを賭けて律法を厳守していました。これこそが、神の祝福を受けて生きる絶対条件であると。そして、それを全く無視し、ただ主イエスの十字架による犠牲の死と復活によってのみ、神に「義とされる」すなわち「それでよい」と言われるような教え、信仰を受け入れることができないばかりか、伝染病を駆除するように滅ぼそうと、命をかけたのです。
そのパウロが、心の目が開かれたのです。律法によっては、誰ひとり神の前に義とされることはない、ただ主イエスの十字架による犠牲によってだけ「よろしい」とされることを。すべての人は「自分を信じて生きる」か、「主イエスを信じて生きる」かのどちらかです。自分を信じるとは、自分の行い、わざ、経験を信じる姿であり、主イエスを信じるとは、神の恵みのわざを信じる姿です。
無駄にならない人生とは、「わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって生きている」以外にはありません。「ささげられた」とは、「与えられた」のです。ギフトです。プレゼントです。神の愛の心から恵みによって、主イエスによる罪のゆるし、神の祝福、永遠の命を与えてくださいました。
それだけでは不十分、自分の努力、働き、わざもなければだめだ、と信じて生きている人、まさにその人こそ「キリストの死はむだであったことになる」のです。世の中には、何と多くの人がキリストの死を無駄にしていることでしょう。