「めぐみのことば」(2/21) をアップしました2016年03月04日

めぐみのことば

弟子の足を洗われる主イエス(ヨハネ13:1~20)山脇正子師

主イエスがこの世を去って父のみもとに帰る時がいよいよ近づいている時です。それはまた、弟子たちとの別れを意味します。主イエスに愛された弟子と言われたヨハネだけが「世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」と記し、この記事を書きました。それは、主イエスが弟子たちを最後まで徹底的に愛し通された、と言うことです。その行為が、洗足なのです。
だれが一番偉いかとせめぎ合っている弟子たち、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていましたが、主イエスは夕食の席から立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められました。僕のすることを主イエスがなさったのです。愛の極みの行為です。
そして、ペテロの番になった時、主イエスに「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と質問します。主イエスは彼に「わたしのしていることは…あとでわかるようになるだろう」と語ると、「わたしの足を決して洗わないで下さい」と拒否、主イエスの洗足の意味がわからないペテロです。しかし、主イエスに「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と言われてしまい、どんなにびっくりしたことでしょう。すると「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」と…。
そして主イエスは、席にもどり「わたしがあなたがたにしたことがわかるか」と質問します。そして「あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである」「わたしは手本を示したのだ」と語られました。
「互いに足を洗い合う」とは、「互いに愛し合う」「互いに赦し合う」ことです。それは、他の人に洗ってもらっている、愛されている、赦されている自分であることを知らされた時、可能になります。