「めぐみのことば」(3/13) をアップしました2016年03月20日

めぐみのことば

みこころのままに(マタイ26:36~46) 山脇正子師

受難週の真ん中の出来事は、主イエスのゲッセマネ園の祈りです。ゲッセマネとは、油絞りという意味です。その場所へヤイロの娘の甦り、変貌山に連れて行ってもらえたペテロ、ヨハネ、ヤコブの3人が、いつものように、いつもの場所での祈りに一緒に行きました。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」と。神の子でありつつ、人の子となられた主イエス、罪を知らないお方が罪とされ、生きるためではなく死ぬため、十字架にかかるためにお生まれになられたお方、主イエスのこれ以上の苦悩はありません。
そして「わたしと一緒に目をさましていなさい」と、弟子たちに言われましたのに、弟子たちのところに来て見ると眠っていたのです。ひとときも目を覚ましていることができなかったのです。主イエスの戦いは、孤独な戦いでした。
その主イエスは「わが父よ」と、祈ります。「アバ父よ」と。「アバ、アバ」とは、幼子が父を呼ぶ「お父ちゃん、お父ちゃん」と言うことです。3度も「もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と願います。「この杯」「十字架」です。「すぎ去らせてください。取りのけてください」と。
「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と祈ります。「みこころのままに」「神の意志のままに」です。ゲッセマネの園で十字架は成就したのです。ゲッセマネの祈りとゴルゴダの十字架は、切り離すことはできません。「この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」と、全人類の救いの道は、杯を飲み干す、十字架以外にはありませんでした。
そして「立て、さあ行こう」と、主イエスは言われます。真っ正面から十字架に向かう、決断と実行と前進の勇気です。