「めぐみのことば」(3/20) をアップしました ≪今回が最終回となります≫2016年03月26日

めぐみのことば

今回が山脇正子先生最後のめぐみのことばとなりました。

八年間のご奉仕本当にありがとうございました。

 

ゴルゴダへの道(マルコ15:16~23) 山脇正子師

棕櫚の主日には、主イエスはロバに乗り、ホサナホサナと大群衆に迎えられ、エルサレムに入場しました。金曜日は、十字架にかかられた受難日です。「ゴルゴダへの道」それは、その日の出来事です。大歓迎した大群衆は、「十字架につけよ」と叫び、豹変します。人の奥深い心の姿です。
ピラトは兵士たちに引き渡し、兵士たちはイエスを総督官邸に連れて行き、全部隊を呼び集めました。そして、紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめました。また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりしたのです。このようにして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せました。
それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出したのです。徹夜で裁判にかけられ、鞭打たれた人の子主イエス、十字架をゴルゴダまで負わなければなりません。体力の限界です。そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、田舎からきて通りかかりました。兵士たちは、イエスの十字架を無理矢理、彼に負わせたのです。シモンは、きっとゴルゴダの丘で十字架上の主イエスの言葉を聞いたことでしょう。
強いられた十字架でした。しかし、祝福の十字架に変えられたのです。なぜなら初代教会のアンテオケ教会の指導者「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、同一人物であったと言われています(使13:1)。またパウロも「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある」(ロマ16:13)と、言っています。シモンの息子ルポスは、ロマ教会の大切な器となり、シモンの妻すなわちルポスの母は、わたしの母であるとまで言われます。
主イエスを信じるとは、主イエスに従うことです。「わたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」