「めぐみのことば」(6/28) をアップしました2015年07月04日

「めぐみのことば」

神の支配を祈る(マタイ6:10) 山脇望師

主イエスは「み国が来ますように」と、祈ることの大切さを教えています。み国とは、神の支配です。聖書は、「神の国は飲食ではなく、義と平和と聖霊による喜びである」と語ります。人は、罪を犯します。その罪に悩み、混乱させられます。それがどんなに強烈であっても、主イエスによる義の支配は、罪の働きををダイナマイトのように打ち破ります。
そこには、平和が支配します。生活には、混乱があり、恐れと不安が押し寄せますが、神の支配は「平安」です。それは、嵐の中にある平安です。
水野源三氏にとって母上は、生きるすべてのことをしてくださる方でした。その母が、亡くなりました。どんなに悲しい、混乱する出来事であったことしょう。その中で、水野氏は詩います。「母を失った私のために泣かないでください。もう泣かないでください。心の中は、不思議なくらい静かなのです」と。神の平和の支配に生かされている姿です。
そして、「喜び」の支配です。この喜びは、人間がつくり出すのではなく、神の喜びに預かるのです。主イエスは、迷った羊を捜し、見つけて喜ぶ羊飼いのたとえを語ります。喜んでいるのは、羊よりも、羊飼いです。羊を支配していたのは、不安と恐れと悩みです。羊は羊飼いの喜びに預かっているのです。
放蕩に身を持ちくずした息子が帰ってきた時も、それを喜んだのは、誰れよりも彼の父です。父の財産を使い果たし、落ちぶれ、豚の餌で飢えをしのぐほどになって、父に見せる顔がありますか。門前払いされてしまうのではないかという不安と恐れが、支配していたはずです。しかし、父は彼をいだいて口づけするほど、彼を喜び迎えます。父の喜びが、心のなかに染み込み、そして彼はその喜びに預かるのです。
このみ国の支配は、すべての人に備えられています。それゆえ、この支配が来ますようにと、祈ります。