「めぐみのことば」(6/7)をアップしました2015年06月13日

めぐみのことば

「イエスをあおぎ見つつ生きる幸い」(ヘブル12:1~2) 山脇望師

この世で知恵、富、権力、名声を手中に治めた王ソロモンが言いました。「わたしは日の下で行うすべての業を見たが、みな空であって、風を捕らえるようであった」と。これがすべての人の現実ではないでしょうか。しかし、彼は「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」とも語ります。
私たちは、主イエスの救いに生かされて、この永遠を思うだけでなく、「天にあるふるさとを望み見て生きる」喜びがあります。人には、生まれ育った過去のふるさとがあるように、これから迎えられていく天のふるさとが備えられています。だれも死後の世界、永遠のことも分からないのに、どうしてそんなことを言えるのでしょう。それは、「父のふところにいますひとり子なる神だけが…」と、父のもとにおられた主イエスが語るからです。父の家には、住まいが沢山あります。「望み見る」という言葉は、「分離して見る」です。この世のふるさとが、どんなにすばらしい、心を引きつけるとしても、それとは明確に区別してみることができますように。
そして、天にあるふるさは、「イエスを仰ぎ見つつ生きる」のです。イエスだけが、そこに導いてくださいますから、イエスの背を見つつ進みます。時には、弱り、倒れ、脇道に逸れてしまうこともあるでしょう。イエスを見失ってしまうのです。しかし、イエスは私たちを見失うことなく、私たちのところに近づいてくださり、傷をいやし、汚れをきよめ、正しい道へと導いてくださいます。まさに信仰の完成者として共にいます。
主イエスは、「あなたがたのために、場所を用意しに行く」と語りました。十字架は、そのための大切な業であり、安心して迎えるための準備なのです。それぞれの人のために、「すまい」(英語訳ではマンション)を備えています。
主イエスが、用意された「すまい」に、「空き家」が多くなることがないように、と祈ります。