「めぐみのことば」(7/5) をアップしました2015年07月11日

めぐみのことば

「神のみこころがこの地になる」(マタイ6:10) 山脇望師

神を信じる生活とは、祈る生活です。「…事ごとに、感謝をもって祈りと願いとを献げ、あなたがたの求めるところを神に申しあげるがよい」のように、祈ります。
ところが、祈りはそれだけではありません。「み心が天に行われるように…」と、祈ります。これは、神のための祈りです。確かに神のみ心、すなわち神の愛、いつくしみ、めぐみ、あわれみ、真実のみ心は天においては完全に、十全に行われていますが、私たちの住むこの地においてはどうでしょう。アダムとエバ以来、兄弟の憎しみ、殺意があふれ、ノアの時代になっては、「主は人の悪が地にはびこり、地の上に人を造ったことを悔いて…」と嘆き、心を痛めなければならない現実です。
それゆえに、主イエスは教会や私たちをとおして、少しでも天のみ心が、この地に行われますように祈ることを求めています。そして、主イエスはそれを祈るとともに、神のみこころをこの世に生き、働き、行動することによって明らかに現したのです。まさに主イエスの生涯は、どこを切ってもそこから神のみ心が見えてきます。
主イエスは、良きサマリヤ人のたとえを語られました。旅人が強盗に襲われ、持ち物が奪われ、半殺しになって倒れている話です。その彼をサマリヤ人が見て、あわれに思い、近寄り、傷を消毒して包み、旅人のためにすべての犠牲を負うのです。お互い犬猿の仲であり、汚れた者、卑しい者と扱われ、近づくこともされないサマリヤ人です。倒れている旅人を見ても、内心快感を味わったとしても、このようなことをするでしょうか。
主イエスの姿は、実にサマリヤ人の姿です。「父よ、彼らをおゆるし下さい」と、神のみ心を祈ります。主イエスを信じる私たちも、このように祈ると共に、神のみ心を生きる者であります。私たちの隣人に、神のみ心が与えられるために。