「めぐみのことば」(8/23)をアップしました2015年09月06日

めぐみのことば

「試みに合わせないでください」(マタイ6:13) 山脇望師

この世に生きるすべての人は、「試み」に会います。あちらから近づき、歩むところに地雷のように隠れていて、それを踏んでしまうのです。まさに、進んで行く道に突然大きな穴があいて、歩みを妨げてしまいます。それ故、主イエスは「試みに合わせないでください」と祈ることを勧めています。
ところが、他の個所では「いろいろの試錬に会った場合に、それを非常に喜ばしいと思いなさい」と語るのです。一方では否定的に、一方では肯定的に。父なる神は、この世にあって試みに会うこと、すなわち神のみ心から離れ、神の恵みの支配の外に追いやろうとし、その中に連れ込むサタンの働きを許しています。それ故、それから守ってくださる神に祈るのです。それは人間の知恵、力、知識の働きによっては自分を守ることはできないからです。そして、このように祈るとき私たちは、神による勝利、守り、力、支配、そして神の避け所を信じているからです。
それだけではなく、「試み」は私たちを強くし、成長させ、成熟させる道具、手段として用います。父なる神は、信仰の父アブラハムを「神はアブラハムを試みて…」と、鍛えたのです。何を鍛えたのでしょう。「信仰」です。神は、「あなたの子孫は星の数のようになる」と彼にいわれ、彼はその言葉を信じたのです。しかし、信じたからといって、アブラハムの思い通り、願い通りになりません。彼らは自分たちの方法によって子供、あと継ぎを得てしまいます。しかし、神は約束のように後継ぎであるイサクを授けます。そのイサクを殺して、神に献げよと言うのです。最大の試みです。神を信じるかのテストです。
そのように、神は「試み」を用いて私たちを強くし、信仰の心を成長させ、キリスト者として成熟させようとします。「悪しき者」とは、必ずしもサタンだけではありません。時には、「私たち自身」も悪しき者となります。お救い下さいと祈りましょう。