「めぐみのことば」(9/13) をアップしました2015年09月19日

「めぐみのことば」

 無くてならぬもの(ルカ10:38~42) 山脇正子師

主イエスと弟子たちは、エルサレムに向かう旅、すなわち十字架に向かう旅を続けていました。一同が、マルタ、マリヤ、ラザロのいるベタニヤ村に入られました。「するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた」のです。ほこりにまみれ、空腹で、疲れておられた旅人、主イエスの一行を…。旅人を接待(サービス)する愛の行為、何とすてきな行為、主イエスの語られた隣人を愛する行為です。いったいそこで何が起こったのでしょうか。
マルタにはマリヤという妹がいましたが、彼女は何をしていたのでしょうか。「主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた」と、聖書は記します。主イエスの足もとに座り仰ぐ、それは教師から教えを請う姿です。弟子入りの姿なのです。マリヤは、全身耳であるかのように没頭し、全存在を持って身動きもせず、夢中になって、主イエスのことばに聞き入っていました。
「ところが」です。マルタは接待のことで忙がしく心をとりみだし、主イエスのところにきて「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」と、言ったのです。 マルタは、心が千々に乱れ、落ち着かないほど取り乱してしまい、主イエスに対してさえも、非難を向けてしまったのです。これは、主イエスと一行に仕える姿ではなく、自分が中心の姿のマルタです。本来マルタは、世話好きで献身的、身を粉にして働く賜物を持っていた人、ではないしょうか。私だけという私の世界、主イエスと弟子たちだけに焦点があてられていない時、サービスではなく、呟きになったのです。
主は、あれもこれもではなく、あれかこれかの「ひとつ」であると…。主のことばを聞く道、マリヤの道を選ぶことを求めておられます。「無くてならぬものはただひとつ。マリヤはそれを選んだ」