「めぐみのことば」(9/27) をアップしました2015年10月04日

めぐみのことば

人をさばかない(マタイ7:1~5) 山脇望師

人類の歴史は、さばきで始まって、さばきで終わるといっても過言ではありません。「さばく」とは、「分ける」「区別する」の意味があります。人は、自分の価値観、善悪、好みの判断によって他人を、またその行動を裁きます。その中で主イエスは、「人をさばくな」と語ります。
1万タラント(日本円で約6千億円)の負債を王にすべて免除された僕が、仲間に100デナリ(日本円で約百万円)を貸しており、それを返してくれるまで牢に投げこんだ、というたとえを主イエスは語られました。「何とひどい事よ、人の道ではない」と思います。単純に計算して、60万円許された人が、1円を許せないというのですから。悲しいかな、それが人間の姿ではないでしょうか。実に、許しても良いはずの1円が60万円より大きく重く見え、許された60万円が1円よりも小さくしか見えないのです。それゆえに、「人をさばくな」と言われるのです。
人は、他人の目にある「ちり」のような、小さいことを見ることができるのに、自分の目にある「梁」のような大きなことは見えないのです。すなわち、他人を裁き、非難し、責める事柄はどんなに小さい、あたかも「ちり」のようなことであっても、それが「梁」のように大きく見え、反対に自分の目にある事柄は「梁」のように大きいはずなのに、「ちり」のようにしか見えません。時には全く見えないのです。
はっきり見えるために「梁」を取り除きなさい、といわれます。ものが見えなくなった時に「メガネ」を使用するように、主イエスを心の中に受け入れ、心のメガネとする時、自分の心にどんなに大きな「梁」が、すなわち責められ、非難され、裁かれても当然である罪を認めます。そして、人のことは「ちり」のようなものであるということを…。私の罪が、主イエスを十字架の犠牲にしなければならないほど、「梁」のような大きさ重さであり、「命」をかけなければならないほどのことなのです。