「福音の風」  牧師 小林 光生2016年06月05日

 今日は「召天者記念礼拝」である。普通、クリスチャンが亡くなる場合「召天」と書き、「昇天」と書かない。

 主イエス・キリストの場合は「昇天」である。弟子たちやガリラヤの人々が見ているなかで、「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」とあるので、まさに天に昇られたのだ。

 今、このように礼拝しているわたしたちも、主からの召し、英語で言えばコーリング(calling)を頂いている。いわば、天からの召しを頂いているので「召天者」でもある。その召しを、この地上で成し遂げるように期待されているのである。

 また主イエス・キリストの復活は、わたしたちと関係ないのではない。使徒パウロは、主イエスは「私たちの初穗」として復活されたと告げている。初穗の後に、次々に実った穂がでてくる。この望みを失ってしまうと、コリントの人々のように「明日の命がわからなのだから飲み食いしよう」となってしまう。

「天に召しを受けている希望」に生きていきたい。