「福音の風」  牧師 小林 光生2017年02月26日

 今日の礼拝の聖書箇所で次のような箇所がある。
 

「しかるに、神は感謝すべきかな。
 神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、
 わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、
 至る所に放って下さるのである。」
 (新約聖書 コリント人への第2の手紙2章14節)

 ローマの将軍達は敵をうち破って勝利して帰ってくると、町に凱旋門を造った。そこには将軍が帰ってくる時に、鼓笛隊の前に香りを放つ花をまく者がいたようである。
 パウロは、その様子をよく見ており、花やハーブがまかれて香りが一面にただよう中を馬に乗って捕虜を連れて凱旋してくる様子を想像しながらこの場面を書いたのである。私たちもキリストの勝利の行進に加わることができるのである。
 しかし、もう一つ、行進といえば日本のキリシタン迫害を思い出す。
豊臣秀吉は堺にすむ宣教師とその使用人24人を捕らえた。彼らは片耳を切り落とされ、堺から長崎までの長い真冬の道を、血を流しながら連行された。その行列はどのようなものであったのだろうか。旧山陽道も通ったのである。
 それは、「死の行進」であると言える。
しかし、主の栄光の輝きの行進であり、彼らの姿を見て進んで捕らえられた二人が加わった。神にあって彼らは輝いており、「天への凱旋行進」でもあったのではないか。