「福音の風」  牧師 小林 光生2016年08月07日

 倉敷に来た最初の日曜日、早朝である。外で誰か叫んでいる声がする。
「何だろう」と思い、耳を傾けてみると何か練習のかけ声のようだ。後でわかったことは、倉敷商業の野球部の朝練であったのだ。
グラウンドはそんなに近くはないが、結構響く。「こんな早朝は叫ばなくていいのでは?」と思ったが、そのうちに気にならなくなってきた。

 先日、柵原から帰る車の中で高校野球岡山大会の準々決勝のラジオ放送があり、倉敷商業の勝利を放送していた。
しばらく車を走らせていたら、倉敷商業に負けた高校の前を通った。応援団らしき人たちが太鼓を抱えて学校に戻って来ていた。その表情から、がっかりした雰囲気が伝わってきた。
倉敷商業は、次の準決勝で敗れ、夏の戦いは終わったようだが、次の日にも声を出して練習をしていた。

 パウロはコリント人への手紙で「あなたがたも、賞を得るように走りなさい」とコリントの信徒たちを励ましている。
パウロが生きた時代、コリントからそんなに遠くないアテネで古代のオリンピックも開かれていたという。

 わたしたちが救われるのは、主イエス・キリストの恵みによるのであり、わたしたちの頑張りではないことは確かである。
しかし、それと同時に与えられた賜物を用いること、主から預かっている福音を伝えていくことが求められている。
「よくやった、忠実なしもべだ」というお褒めのことばを主からかけて頂けるように!

第一コリント9章23~27節
福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。