「福音の風」  牧師 小林 光生2016年10月02日

 先週、「備中高梁におけるキリスト教会の成立」という本から、
明治の初期に高梁において町を二分する伝道の働きを紹介した。
この本は「新島襄の伝道と新しい思想の受容」という副題がついている。
この時に起きた、いわばリバイバルと新島襄たちがもたらした福音との関係を考えてみた。

 まず、備中松山藩が幕末また明治初期において「負け組」という巡り合わせにあった、
ということが大きな背景にあるのではないか。
つまり、新政府側ではなくて旧幕府側についたということで、大きな痛手を受けたのであった。
今まで頼りにしていたものが、なくなってしまった。
そのような中で、「心貧しき者」として福音を受け入れる下地があったのではないかと思う。

 そのような中で、明治8年に岡山県が米国人医師を岡山に招聘した。
彼は宣教師であった。
新島襄は、明治13年に高梁で伝道した。伝道の結果、どのような働きが展開されたか。
一つは教育の分野で、順正女学校を立ち上げ、現在の吉備国際大学の基礎となった女性が起こされたということだ。
キリストの福音と、女子教育とのつながりがあたえられたのだ。
この時代にとって、まさに新しい光であった。

 次に医学の分野である。ある町医者が福音に出会い、
江戸時代からのキリシタン禁令の影響の中にある町で、医者としてあかしをし続けたのだ。
長い間、この地方を支えてきた儒教的な精神性、考えが、キリストの福音によって変革させられたのだ。
これについてはもう少し学び、別の機会に書きたい。