「福音の風」(12/2) をアップしました2018年12月02日

 今日の説教の題を「ヨシア王による宗教改革」とした。しかし、この場面では宗教改革そのものではなくて、宗教界改革への一つの階段(ステップ)であると感じた。
 もっと言うならば、ヨシアによる改革では南王国の滅亡は食い止められたかったとも言える。
 創造主である主なる神を信じているはずの民が、霊媒、口寄せ、息子や娘を火の中をくぐらせるような状態に陥っていたのだ。ある説教者は「国民全般の状態としては、国はすでに重体となって、もはや回復の見込みが立たなくなった。」と表現している。このような状態の中で預言エレミヤが預言した。(列王記には出てこない)
 「この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。」エレミヤ25章11、12節
 希望を持つことが出来ないような状態からどのようにしたら、信仰の回復がなされるか。その道筋がこの列王記で語られている。
 「主の宮で律法が見つかった」という報告があったというくらいに、神のことばがどこかに行ってしまっていたのだ。「背信のイスラエルよ。帰れ。」とエレミヤは叫ぶ。どこに帰るのか。それは主の約束に、主のことばに帰るのである。ここに真の回復がある。私たちの信仰において戻るところは、常にここにある。