「福音の風」(2019/10/27) をアップしました2019年10月27日

「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。(イザヤ書40章1節 新改訳)

 これがイザヤ書の後半、イスラエルの回復の預言の始まりである。ここでの「慰め」はことばだけの、気慰めではなくて、具体的な捕囚からの回復の宣言である。
 台風15号の被害や19号の超大型台風で被害にあわれたかたにとって救いはどういうことであろうか。「大変ですね」ということばも大切であるが、それと共に自分の住むところが回復されなければならない。
 イスラエルの民もバビロンにより滅ぼされてしまう。
見える所は砂漠のような状態であったが、そこからの回復の道が備えられるのである。
 この「慰める」というヘブル語には「悔いる」という意味がある。「あなたはそのままでいいのだよ。大丈夫だ」ということではない。具体的なバビロン捕囚という刑罰をうけなければならかった。わたしたちの回復も、具体的に主イエス・キリストの十字架という「刑罰」を通じてなされたものである。このゆるしに私たちは立ち返り、悔い改めることが出来るのである。
 このイザヤ書40章を音読してみよう。
1,2節では罪の赦しのメッセージ
3~5節では主の道を準備すべきこと
6~7節では聖書論が語られる。
イザヤが見せられた壮大な救いのドラマが預言され、描かれている。その救いの情景が映し出されてくるのではないか。