「福音の風」(2019/8/25) をアップしました2019年08月25日

今回から小林光生は、旧約聖書のイザヤ書からの説教である。
イザヤ書の前の「雅歌」「伝道の書」「箴言」「詩篇」などは文学書に分類される。このイザヤ書から旧約聖書の最後までは「預言書」である。
 作家の阿刀田高(あとうだたかし)さんは日本ペンクラブ会長もされた方であるが、「旧約聖書を知っていますか」という本の中でイザヤ書について次のように書いておられる。 「競馬に凝った人は、明日のレースが見えるときがあるらしい。ニュースの映像でも見るようにレースが確かなものとして頭の中に映って駆けめぐる。イザヤは、この世界が神の意志によって営まれていることを知っていた。神の意志を信じたうえで、この世界の姿を眺めてみると、イザヤの経験的な見聞や知識も加わって、おのずと見えてくるものがあったであろう。
 なんたることか イスラエルの将来が脳裏に映り、このままではろくなことが起きない。イザヤは嘆き、悲しみ、人々に向かって警鐘を打ち鳴らす。それがイザヤ書である。」
 阿刀田さんはクリスチャンではないが、イザヤ書についての見方はそんなに的外れではないと思う。聖書の預言は、未来のことを予言するというよりも(その意味もあるが)「神のことばを預かる」ということだ。今日のイザヤ6章はこのイザヤが預言者として召される場面である。
「わたしはだれをつかわそうか」という主の声に答えるところから預言者イザヤの生涯がはじまっていく。