「福音の風」(2020/2/2) をアップしました2020年02月02日

主イエスはたとえの名人ともいわれる。

 今日はファミリー礼拝である。まず紙芝居でこの「よきサマリヤ人」のたとえのストーリーを追ってみたい。最後に「だれが強盗に襲われた人の隣人になったか」と主イエスは質問されるのである。
 結論から始めるような感じであるが、この強盗におそわれて傷ついた人を「気の毒に思い」(新改訳では「かわいそうに思い」助けて下さるお方は、主イエス・キリストである。
 ある牧師がこの良きサマリヤ人を引用して、人々に仕えることを教え誓い合った。しかし、その牧師夫妻は限りない奉仕に追われ、燃え尽き症候群になり、夫婦の関係に亀裂が入り、妻はうつ状態になってしまったそうだ。
 この牧師はこのたとえでこのサマリヤ人がしていないことを見つけたということだ。一つはこのよきサマリヤ人は、傷ついた人を自分の家には連れて帰ってはいないということだ。宿屋に連れて行ったのだ。
もう一つは、「彼は自分の仕事の旅をやめて、その傷ついた人を看病してはいない」・・・。
 自分の力や努力で良きサマリヤ人になることは出来ないことを確認しなければならない。
 主イエスご自身が、良きサマリヤ人となっていてくださる事をここで確認したい。しかし、それでおしまいではない。
主イエスが語られた「あなたも行って同じようにしなさい」という課題、宿題は私たちにも残されているのでないか。