「福音の風」(4/8) をアップしました2018年04月08日

 あなたがたの体を生きた聖なるささげものとして、主にささげなさい。それがあなたがたの霊的な礼拝である。ローマ12章1節

イスラエルにおいて、礼拝は供え物を主にささげることが中心であったのです。毎年の祭りや神殿に行って礼拝するときは何を持って行くのかを示しているのが、聖書のレビ記です。どのように礼拝したらよいかを記しているのです。 
 今日の詩篇50篇では、何をささげるということではなくささげる心の問題なのだと告げています。また先週の聖書通読箇所で、サムエル記に出てきますサウル王の大きな失敗は、祭司がささげべき供え物を待つことが出来ずに、自分勝手にささげてしまったのです。そのために、主からせっかく与えられた王位という祝福を、手放さねばならなくなってしまったのです。私たちにとって、犠牲をささげるという形式的行為ではなく聞き従うことの方が大事であるということでした。詩篇50篇でも、ささげもの、犠牲について問われています。特に、23節には「感謝のささげものをささげる者は主をあがめるであろう」とあります。
新約の時代に生きる私たちには供え物をささげることはありません。主イエス様が十字架の上で、罪を取り除く神の小羊としてささげられているのです。私達のささげものとは私たちの心からの感謝と、神を信頼する祈りであるのです。最初に書きましたローマ人への手紙の12章のように私たちのからだ、わたしのすべてを主におささげすることなのではないでしょうか。