「めぐみのことば 」(6/21) をアップしました2015年06月27日

めぐみのことば

「主イエスについて行く者」(マタイ16:21~28) 山脇正子師

「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と信仰告白したペテロに、「この岩の上に…教会を建てよう」「天国のかぎを授けよう」と、主イエスは語られました。そして、「この時から」主イエスは、「死と復活」の予告をされたのです。すなわち十字架への道をまっすぐと言うことです。
するとペテロは、「とんでもないことです」と言いました。その時主イエスは、ペテロに「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われてしまいました。それは、「私の躓き、私の歩む道を塞ぐ者、神の道から離れさせようとする者、どいてもらいたい。私の前に立つな、私の後ろに回れ」と、偉大なる挑戦を受けたのです。
なお主イエスは、「主イエスについて行く者」は、いかにあるべきかを語られました。
第一に「自分を捨て」と。それは、自分を自分の王座に置くのではなく、神を自分の王座に置くこと、すなわち自己を中心とする生活ではなく、神を中心とする生活なのです。「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:19,20)と言うことです。 第二は「自分の十字架を負うて」です。「自分の十字架」とは、私たちの人生に降りかかる課題や試練ではありません。ゲッセマネで、主イエスが「この杯」と祈られた「十字架」、「神のみこころ」です。しかも、「日々十字架を負うて」なのです。たえず、刻々神の求めておられることを意識して「神のみこころ」を生きることではないでしょうか。
第三は「主イエスに従う」ことです。主イエスに導かれるまま、どこへでも、どんなことも従って行くことです。主イエスの先にではなく、主イエスの背を見て従うのです。
導きは、いかに確認できますか。神の言葉です。