「めぐみのことば」(5/31)をアップしました2015年06月06日

めぐみのことば

父なる神は天にいます」(マタイ6:9) 山脇望師

「人」という字は、2本の棒、すなわち2人の人が寄り添い交わるところに、人が人となっていくことを現しています。その交わりを大きく分けるとき、「人との交わり」と、「神との交わり」があります。この「神との交わり」が、祈りです。
私たちが祈るのは、「天にいます神」に対してです。「天」とは、人間の力、支配の及ばないところ、そこから人間世界に良きにつけ悪しきにつけ、働きかけてくると信じています。それゆえ、私たちに益をもたらし、害をもたらさないように、得体の知れない「モノ」の働きを願うのです。しかし、天にいますのは、天と地を創造し、すべてを支配しています、聖書に語られている神です。
「父なる神」に、祈ります。父と言われると、どのようなイメージをいだくでしょう。たぶん、自分の父が、やさしい父親であれば、そのような父なる神をイメージし、厳しい頑固な父親であれば、そのような父なる神を…と。
しかし主イエスは、「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも太陽をのぼらせ、正しい者にも、正しくない者にも雨を降らしてくださる」父であると、語ります。人を区別することも、差別することもありません。すべての人に、主イエスによる罪の赦しと永遠の命を与え、祝福を備えています。すべての人は、「アバ父よ」と呼ぶことができいるのです。
そして神は、「われらの神」なのです。ここに、祈りの広がりがあります。私のことだけでなく、私の隣人のためにも祈ります。必ずしも好意をもたれるとは限らず、かえって敵と思われ、無視し、軽蔑する人かも知れません。それらを心に受け入れて、その人の祝福を最善を求めて祈るのです。
それは、他でもない私たちの父なる神ご自身が、そのように祈られるからです。神の祈られているのを知り、それを心に受けとめて、神のみ心を生きようとするところに、この祈りが養われていきます。