礼拝説教「「十字架なしの冠はなし」2021年02月14日

主イエスがガリラヤでの宣教からエルサレムへの旅路の出来事の3回目で、今日は「十字架なし冠なし」という説教題でのメッセージである。

まず主イエスは十字架への予告をはっきりとされておられる。ユダヤの最高議会に引き渡され、 死刑の判決を受け、<十字架につけられる>と具体的に話された。「その時」、ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母が登場する。
「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」「右大臣、左大臣」してください」という願いである。「教育ママ」というか「出しゃばりママ」という感じだろうか。このような、ランキングづけとうか、格付けをしたがるのはこのお母さん(サロメと推察されます)だけではないでしょう。
これを聞いた他の弟子たちも「十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。」とあります。

テレビの「プレバト」という番組の中で、芸能人が歌う(詠う))俳句に、「名人とか、有段者、才能なし」とかランキングづけされる。ここで、ランクづけする夏井いつきという方のエッセイを読んだことがある。「夫はクリスチャンで、夫の両親の葬儀に出席し、キリスト信仰での葬儀に感銘を受けた」ということが書かれてあった。葬儀でも歌われる賛美歌は、「十字架を通じての冠」を歌い賛美するもので、ランキングの対象ではない。
「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕(しもべ)とならねばならない。」(マルコ20章27節)

「仕えるしもべ」としてのイエス・キリストの生き方が、十字架を前にして示されている。