礼拝説教「ああ、エルサレム、エルサレム」2021年03月21日

今日の聖書箇所では、主イエスの 7 つの嘆き、警告である。十字架につけようとしている律法学者たちへものである。「わざわいなるかな」(新共同訳では「不幸だ」)で始まっている。山上の説教での 8 つの「幸いである」と対照的である。

今回は、そのうちで一つだけ「ささげもの」についての箇所。特にハーブのささげものが書かれているので、興味深い。偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいで
ある。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。マタイ 23:23
はっかとは、ケーキなどの上にあるミントで、クミンもカレー料理などでおなじみであり、当時も貴重なささげものであった。「しかし、<公平とあわれみ>という内側の香りがささられていないではないか」という警告のことばである。
ここで繰り返して指摘されているのが、<偽善>ということばである。偽善とは、外側は美しく見えるが、内側はひどい臭いがするようなことを意味する。これは、わたしたちへの警告ともなる。どうしたらいいのか。
それが、最期にでてくる主イエスの叫びの祈りである。
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。」(マタイ 23:37)

めんどりは、にわとりであると言われている。ひなにとっているべきところは、お母さんの翼のもとにある安全な場所である。わたしたちのいるべきところは、主の約束を頂き、祝福の祈りと宣言で終わる礼拝の場ではないか。