礼拝説教「嵐を共にする旅」2020年07月19日

聖書中で「これどういう意味?」という所があります。この主イエスと弟子との問答もその一つです。
「また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。」
(マタイ 8 章21 章22 節)

これについてある注解は次のように解釈しています。
シリヤの宣教師が日頃親しくしていた知的で富裕なトルコ青年に、ヨーロッパ旅行を勧めたところ、「私はまず父を葬らなければなりません」という答えが返ってきました。そこで宣教師は、青年の父親が死んだのだと思って同情のことばを言いますと、父親はまだ元気でいるといいます。そのことばの意味は、旅行に行く前に両親や親戚に対する義務を果たさなければならない、すなわち、父親が死ななければ家を留守にできないことだと説明したという。
この聖書の個所に出てくる弟子もこの意味で、「私は父親が死んで自由になったら、あなたに従います」と言っているのではないか。すなわち、イエスに従うことへの拒否返答とも思えます。
「父を葬りに行かせてください」とは今すぐの葬式に出席させてくださいではなくて、従わないということへの「理屈」という説明です。リビング・バイブルでは、これに近い翻訳をしています。
「いや、今いっしょに来なさい。死んだ人のことは、あとに残った者たちに任せておけばいいのです」
この地上での働きで一番大切と思われること以上のことが、ここに書かれているのです。それが「わたしに従ってきなさい。」という主の招きに「はい」と素直に答えていくことではないでしょうか。
今日の聖書箇所を通じて、私たちにとって、どのような「覚悟」が必要なのかのメッセージを頂きたいのです。