礼拝説教「みことばを食べる」2020年03月29日

彼はわたしに言われた。「人の子よ、あなたに与えられたものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」(エゼキエル書3章1節)

今、新型コロナウイスル対策のために聖餐を中止している。残念であるが、この時にこそ、「食べる」ということがどういうことかを考えてみたい。
 それは、「食べるとはいのちを頂く」ということである。
「食べる」ということで、思い出すエピソードがある。沖縄のある女高生の話である。
お父さんが、知り合いの家からヤギを連れてきた。このヤギを女高生がかわいがり、育てた。食べるために育てるのだが、その女高生は、そのことを忘れてしまった。
しかし年の暮れも迫った時に、ヤギは食べるために殺されてしまったのだ。それから二日間、部屋にこもって、彼女は何も食べなかった。でも親戚で養豚をしてるおじさんが、話してくれた。
『お前今まで何も考えないで生き物を食べてたのか?』そして渡されたヤギ汁を、勧められるままに一口飲んでまた泣いた。 それ以来、『わたしの中にはずっと、食べられたヤギが住みついている・・・』 このようなエッセーであった。
聖餐礼拝では、十字架に架かってくださった、主イエスの「いのちを頂く」のである。
今日の説教の聖書箇所では、預言者エゼキエルが「与えられた巻物を食べなさい」という場面である。どのようなことであろうか。