礼拝説教「わたしのもとに来なさい」2020年09月06日

今日のメッセージの最初の約束は「イエス・キリストは安息日の主である」という、約束です。
このマタイ12章では、当時の宗教指導者、民衆のリーダーでもありました、パリサイ人が、主イエスに「あなたの弟子は、旧約聖書の掟、律法の中で、安息日の掟を破っていのではないで
すか」という質問以上の怒りが出てきます。 何しろ、この安息日問答(論争)の後でパリサイ人は何とかしてイエスを殺そうとしたとあるのです。
問題になったのが、「弟子たちが、ある安息日に、弟子たちが、空腹であったので、麦の穂を摘んで食べはじめた。」ということです。 日本で麦畑やお米の田んぼで、穂を摘んで、手で
脱穀して食べていいですか。ぶどう畑で、「おいしそう」と言って、ぶどうを食べたらどうなりますか?「どろぼう!」となります。
ところが旧約聖書では、貧しい人のために食べてもいいとあるのです。
ここで問題になっているのは、麦を摘んで食べることではなくて、これを「安息日」にしたからです。
麦の穂は摘んで揉まなければ食べられません。それが働くことで「安息日」の律法に違反しているというのです。これに対する主イエスの答えはどのようであったでしょうか。
ダビデは戦いのために疲れていた時に、神にささげられたパンを食べたのです。それは、律法に反するようなことでもあったのです。そうして旧約聖書を引用されています。
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』これは、旧約聖書のホセア書からの引用ですが、ある訳では「わたしが喜ぶのは<愛>であっていけにえではなく・・」とあり
ます。神を礼拝する宮で ささげる献げ物も大事ですが、それ以上に<安息日の主>を喜ばせることが大切なのです。