礼拝説教「わたしの家は祈りの家」2021年02月28日

主イエスがエルサレムに子ロバに乗って入城され、十字架に向 かっての 1 週間が始まった。そのような時のエルサレムの人々はど のような信仰生活を送っていたか。

まず神殿での礼拝のあり方が問われている。この時代の神殿 は、あのベツレヘム周辺の幼児を殺したヘロデ大王によって大改 修されており、そこには今までになかった「異邦人の庭」があったの だ。そこは、異邦人が来て礼拝をささげるところであったのに、そこ が、両替などがなされて<商売>するところとなっていたのであ る。

柔和のしるしとしての子ろばに乗って、平和の王としてエルサレ ム入城された主イエスは、ここでは、怒り、「両替人 ども の 屋台 を・・・ ガ ラ ガ ラ 蹴倒(け り た お)し た」(東北の ケ セ ン語訳) そうして『わたしの家は、祈の家ととなえられるべきである』と言わ れた。これは、旧約聖書のイザヤ書からの引用であり、本文を引用 すると「わ た し は 彼 ら を、わ た し の 聖な る 山 に 連れ て行き、わ た し の 祈 り の 家で 彼 ら を 楽し ま せ る。彼 ら の 全焼 の い け に え や そ の 他 の い け に え は、わ た し の 祭壇の 上で 受 け 入れ ら れ る。わ た し の 家は、 す べ て の 民の 祈り の 家と 呼 ば れ る か ら だ。」(56 章7 節 新改訳)

ここに、<すべての民の>とある。私たちが、求める信仰生活の あり方がしめされているのではないか。 このエルサレム神殿は滅びしまうが、主イエスは、すべての民の 救いのために「全焼のいけにえ」となってくださったのが十字架で ある。 すべての民への招きである。ここでマタイが強調しているのは、 当時差別されていた人たち、また軽んじられていた子どもたちが共 に、喜び、祈り、賛美することである。