礼拝説教「イスラエルの救いとわたしたち」2021年08月29日

ローマ書を建物に譬えて紹介しているが、9章より本館第 3棟で「イスラエルの救い」がテーマとなっている。 著者パウロもユダヤ人であり、イスラエル人である。

8章の 終わりで「いかなるものもイエス・キリストにおける神の愛か ら私たちを引きはなすものはない。」とイエス・キリストにあ る愛の勝利を叫んでいるが、その時にも、同胞、昔のことばで いえば、「骨肉」の救いに対する熱い思いがあふれてきたのだ と思う。

「イスラエルの救いはどうなっているか」という疑問 に対しての答えが9章から11 章まで続いている。 「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしの この身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。」 9章3節 これは驚きの告白である。先ほどの「神の愛から私 たちを引き離すものはない」と真反対のことばではないか! この叫びに同胞の救いへの情熱(パッション)を感じる。旧 約聖書の指導はモーセにも同じようなことばを発している。

「今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しか し、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみ から、わたしの名を消し去ってください」出エジプト32;32

パウロはここで、ユダヤ人ではなくてイスラエル人という ことばを使っている。イスラエル人の定義を試みたい。 ヘブル語としては、「神は争われる」の意味だと言われるが、 「神の皇太子(王子)」を意味することばであるといわれてい る。 このイスラエルに対する「神の賜物と召しとは、変えられる ことがない。」11;29

この約束が繰り返し、色々なかたちで 繰り返し語られていくのが、このローマ 9~11 章の特色とな っていく。