礼拝説教「キリストにつぎ合わされる」2021年07月25日

ローマ人への手紙を建築物に譬えて説教をしている。

先週のところから本館の第2 棟で、色々な罪(複数形)から の救いだけでなくて、単数形で原罪ともいえる罪からの解 放、つまりホーリネス(きよめ)が主題となっている。 「私たちは<赦された罪人>なのだから大いに罪を犯し、 また許してもらったらいい」という論議がある。 パウロは「だんじてそうでない」6章2節と断言する。

私 たちは、ホーリネス教団に属しているが、「ホーリネス(きよめ)など必要ない、そのような面倒なことを考えたくない」 という考え方もある。そのような見方に対する答えがこのところに書かれていると言えるのではないかと思う。 パウロはここで、バプテスマ(洗礼)と接ぎ木の譬えを通 じて私たちに諭すように語っている。 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエス にあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあず かるバプテスマを受けたのである。ローマ6章3節 このバプテスマとは洗礼のことであるが、原語のギリシ ャでは<浸ける>ということばから来ている。「何につける のか」というと、水に浸けるということある。バプテスマと は、もともと水に浸かる浸礼を意味しており、水に浸かると は<キリストの死に>にあずかるのである。 いつまでも水に浸かっているのではなくて、水の中から 引き上げられるのであるが、これはキリストの「復活の生 命」を意味するのである。

そうしてパウロは、この復活の生命がどういうものかを 「接ぎ木」の譬えを通じて教えている。