礼拝説教「キリスト者の勝利の叫び」2021年08月22日

わたしの母の口ぐせは、「エホバ・エレ」すなわち「主が備え てださる」であった。「どんな必要も主がタイムリーに与えてくだ さる」という信仰だ。 次のことばは、パウロが生きていた時代のクリスチャンの共通の経 験でありいわば「口ぐせ」であったとも表現できるのではないか。

「神 は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと 共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは 知っている。」ローマ8章28 節

「万事を益としてくださる」という ことは、これはどういうことであるか。何をやってもうまくいくとい うことではないと思う。

先日、ラジオで「家政婦がみたベート-ベン」というような内容 の番組を聴いた。青年時代の実らぬ恋、30 歳から始まった難聴など を家政婦視点での音楽ドラマであった。これらの出来事がベート- ベンの時代を超えた音楽を生み出していたということだ。 「万事が益となる」のは、色々な出来事の中で私たちが「罪のゆ るし」を経験し、「きよめ」の体験をさせて頂けることではないか。

次のような約束のことばがある。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似 たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。」8 章29

私 たちが「御子のかたちに似た」神の作品となるために、神はイエス・ キリストを遣わし、神の愛を明らかにしてくださったのである。 御子のかたちに似たものとされることが、この地上における私た ちの目標点であるが、このローマ8 章では、それだけでなくて、私 たちが天において「栄化される」約束も書かれてある。「わたしは 思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとす る栄光に比べると、言うに足りない。」8 章18 節

そうして最後にパウロは叫んでいる。「どんな被造物も、わたし たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き 離すことはできないのである。」8 章39 節