礼拝説教「ゲツセマネでの祈り」2021年04月25日

今週の聖書箇所は、先週の最後の晩餐に続く所で、ゲツセマネで祈りの場面で、十字架を前にしての祈りだ。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。マタイ 26 章39 節

主イエスはなぜこのような苦しみの祈りをされたのか。罪の結果であるところの死に対する戦いであり、神のさばきとしての<杯>を呑むことであったからである。十字架なしの救いを祈りの中で退けられたのである。この祈りで私たちが学ぶべきことを見てみたい。

一つは「みこころのままになさってください」という「ゆだねる祈りである」私たちは主イエスにあってゆだねるお方を頂いているというのは大きな特権である。

もう一つは、「わが父よ」との信頼の呼びかけである。マルコによる福音書では、「アバ父よ」という祈りである。アバというのは、いわば幼児語である。この最大の苦しみのときに主イ
エスは、信頼のことばで父なる神に祈り始められたのである。

最後に「わたしと一緒に目をさまして、祈っていなさい」38節 ということばを忘れてはいけない。弟子たちは、漁をするときには眠らないで一晩中漁をすることができたが、祈りでは眠ってしまう。これは、後に与えられる<助け主>としての聖霊の助けなしにはできないのだ。

ここで、わたしと一緒にとある。私たちが主の祈りを祈る時に、主イエスご自身も<アバ父よ>と共に祈ってくださるのではないか。感謝!