礼拝説教「主が備えてくださる」2020年04月26日

『アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう 。 』 創世記 22 章 8 節

この分散礼拝の時、聖書の中での「危機」についてメッセージをさせて頂きたい。
今日は、アブラハムがイサクを献げた場面で、「礼拝」が主題となります。
アブラハム老夫婦の家庭に息子イサクが与えられたのです。「イサク」とは「笑う」という言葉に由来する名前であり、その家庭
では笑いがいっぱいであったでしょう。
そのような時に神はアブラハムに「あなたの大切な子、約束の子を献げなさい」と命じられたのです。アブラハムの家庭にとっ
て「危機」であったのです。「危機」とは英語では「クライシス」です。これは、「危ない時」という意味と共に「重大な時」という意味
があります。
「お父さん、火とたきぎはありますが、神さまにささげる小羊はどこにありますか」
「子よ、神さまが準備してくだ
さるのだよ」この場面はまさに「ドラマ」そのものです。
アブラハムがイサクを「燔祭」(全焼のいけにえ)として献げようとしたときに、「子どもに手をかけてはならない。「あなたが神を
恐れるものであることをわたしは今知った」そうして、うしろのやぶに角を掛けている、雄牛を神は備えてくださったのです。
神がアブラハムの信仰を「今、知った」とありますが、この時にアブラハムもその息子イサクも「生ける神を礼拝する」ことがどの
ようであったかを知ったのではないでしょうか。それは、「礼拝とは、自分が神さまから預かっている最も大切な ものを神さまにお
返しすること」ということです。
私たちが与えられている、いのち、健康、時間、お金、家族も私たちが神さまから預かっているものです。それを神さまにお返
しするのです。その時に、神さまは私たちに必要なものを備えてくださるのです。感謝です。
イサクはこの出来事の後自立の道を歩んでいるようです。「主が備えてくださる」ということを経験する「危機的」な時となったの
です。また信仰の継承の時であったのではないでしょうか。
アブラハムがイサクを献げた山は、後にイエス・キリストが十字架にかかり、復活してくださったエ
ルサレムです。神は御子イエ
ス・キリストを献げてくださり、礼拝の道を備えてくださったのです。

祈り
今私たちは、危機的な時にあります。この時に分散ではありますが、礼拝をささげて、神のために、家族のために、日
本、世界のために祈り、働くことができるようにしてください 。