礼拝説教「主のために生き、主のために死ぬ」2021年10月10日

ローマ書12 章からクリスチャン生活があり方が問われている。今 日は、「今おかれている<時>がどのようなものであるか」という問い に対して、パウロは次のように述べている。

「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、 やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」 ローマ13 章12 節 10 月に入り夕暮れが急に訪れる。県北で車 を運転していたが「宵の明星」がはっきりと見えた。ここでは 「明けの明星」が見えるような時を思い出すと良い。

イエス・キリストがもう一度、救いの完成のために来られる (再臨)の時がやみの世界から光の世界に変わる時として書か れてある。やみの世界と表現できる中で苦しんでいる私たち は、このやみと自分で戦うのではない。光であるイエス・キリ ストをお迎えして、イエス様にお会いする準備が必要なのであ る。

もう一つ今の私たちの生活で勧められていることがある。 「 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のた めに死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたち は主のものなのである。」⒕章8 節

わたしたちは、誰のために生きているのか。家族のためか、 地域や国のためか。それぞれ大切なものであり、誰かのために 生かされていくことが祝福である。パウロは、ローマの教会で 起きていた問題が「自分のために生きている」ためであり、他 者のため、主イエスのために生きることを勧めている。

また「死」がそのつながりを断ち切ってしまうのである。主 イエスは「死」の隔てを打ち破ってくださったお方であること が宣言されている。