礼拝説教「主イエスへの試み」2020年12月27日

今年、緊急事態宣言がなられ、教会での礼拝ではなく、分散礼拝が始まった最初の日曜日に導かれた聖書箇所は、<試練>についての約束でした。
「神は真実である。あなたがたを耐えられないような<試錬>に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント 10 章13 節)

今日の聖書箇所は、主イエスが宣教を始める前の出来事です。「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」(マタイ 4 章1 節)
この試みられるという言葉と先ほどの<試練>ということばは、原文の聖書では、名詞と動詞の違いはありますが、同じことばです。試練は試み、誘惑にもなるのです。サタンは主イエスに奇蹟を行うように試みるのです。

最初に「石をパンになるように命じなさい」次に、「宮の頂上から飛び降りてごらんなさい」というものでした。

今コロナとの戦いで協力を呼びかけるスピーチが共感を呼んだドイツの女性首相が「わたしの信仰 キリスト者として行動する」という色々な所での講演をまとめて本として出しておられます。その中でヤイロの娘を主イエスがいやされた場面を取り上げて「奇蹟を求めない」という表現がでてきます。「奇蹟を信じない」ということではありません。このようなことばが心に留まりました。

「信仰による救いは神のみが境界線を破ることがおできになる業であって、人の要求にはよらないということです。」
私たちが求めるべきしるしと奇蹟は、主イエスの十字架を通じての復活なのです。この上にキリストの教会は建っているのです。