礼拝説教「人は何によって救われるのか」2021年06月27日

人はどうしたら、罪の中から救われるのか?これが、今日の主題 である。

先週まで、罪の結果による<暗やみ>、自らの欲望のあら わとしての<偶像礼拝>、また、自分の行いを正義として<人への 裁き>が指摘されている。そのような、罪とその結果からの解放は どのようにしたらもたらさせるか?

まず最初に、律法を行うことによっては、罪からの解放はないこと が繰り返して書かれてある。「律法によっては、罪の自覚が生じるの みである。」3章20 節後半。 ここで、罪からの解放とは、十字架により<神の義>が与え られることであると書かれている。「それは、イエス・キリストを 信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えら れるものである。そこにはなんらの差別もない。」3章22節 「義」という言葉は難しいと感じてしまうが、わかりやいこと ばでいえば「ものさし}ということが出来る。

神は、イエス・キリ ストの十字架を通じて救いのものさしを与えてくださってい るのだ。 その救いのものさしを「ありがとうございます」と受 けとればいいのだ。

22 節前半の「イエス・キリストを信じる信仰による神の義で あって、すべて信じる人に与えられるものである」を新しい 翻訳の「共同訳では次のように翻訳した。 「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべ てに現されたのです。」 かなり違った訳となっている。口語 訳は、「行いではなくて、信仰による救い」が強調され、共同 訳では、私たちの信仰という以上に、イエス・キリストの信仰 (真実)が強調されている。