礼拝説教「信仰は聞くことによる」2021年09月05日

ローマ書を建物に譬えて紹介しているが、9章から本館第3 棟で「イスラエルの救い」がテーマとなっていた。 10 章では、イスラエルがまた私たちが救われるためにはど うしたらよいかが書かれてある。

まず「熱心」について書かれてある。聖書の中でも、熱心さ は大切なものとして書かれてある。「 熱心で、うむことなく、 霊に燃え、主に仕え・・」とある。ただこの熱心さは間違った 方向に行ってしまうことが多くある。この「熱心」ということ ばは「妬み」とも訳されている、聖書箇所もある。 私たちのまわりにも、熱心さや熱を持った異端的な教えを見 聞きすることがある。ここで、パウロは、その熱心さが、自分 の義(ただしさ、判断の物差し)を明らかにするためであると きに間違ったものとなってしまうと述べている。

「なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てよう と努め、神の義に従わなかったからである。」10 章3 節 パウロ自身も主イエスに出会う前は間違った熱心さに生き ていたと告白している。「熱心の点では教会の迫害者、律法の 義については落ち度のない者である。」ピリピ3 章6 節 ではどうしたら、イスラエル人また私たちは救われるのか。

2つのみことばを紹介したい。なぜなら、「主の御名を呼び求 める者は、すべて救われる」とあるからである。10 章13 節 この約束のことばは、ある男性の葬儀をした時、その男性が 「葬儀の時のみことばにしてください」と言われたことばであ る。色々な行いではなくて、「イエス様、助けてください」と いう祈りを主は聞いてくださる。

もう一つは「したがって、信仰は聞くことによるのであり、 聞くことはキリストの言葉から来るのである。」10 章17 節 聖書の約束、また説教を神からのことば、約束として聞くこ とがら信仰が始まるのである。