礼拝説教「大バビロンの滅び」2022年02月13日
黙示録から共にメッセージを受けている。今日は黙示録17章、18章から「大バビロンの滅び」という題である。
先日、日本でだけでも200万部売れているという「バビロンの大富豪」という本を図書館で借りて読もうとした。予約しようとしたが「貸し中」であったが、漫画版を借りることが出来て、ざっと読んだ。印象としては、キリスト信仰から見たら「どうかな」と思う所があるが、「富」について基本的な対処の仕方が書いてあった。
この本にでてくるバビロンが今日の黙示録に登場する。ただし「大バビロン」で、黙示録を記したヨハネは、当時キリスト教会を迫害していた、ローマ帝国の富による支配を、「大バビロン」に譬えたと言われている。
すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである。18章3節
それに対しての天からの声は次のようであった。
「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。18章4節
この極度のぜいたくによる滅びを「災害」に譬えて、「逃げなさい」と勧めている。そうして、「富を神のようにあがめる罪に、あずからないようにしなさい」と勧められている。
「あずかる」ということばを調べてみた。<仲間入りする>
<共にあずかる>という意味である。
この地上の富や欲望の仲間入りをするのではなくて、イエス・キリストにあっての祝福への仲間入りが勧められている。2つのキリストにあって<あずかる>約束を記してみた。
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。第1コリント1章18節
黙示録では、 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。22章14節