礼拝説教「天の御国の宝さがし」2020年10月04日

主イエスがマタイによる福音書13章で譬えを通じて、神の国の恵みの支配、天国の奥義を話された。

今日はその最後であるが、「天の御国の宝探し」という題である。この宝探し前に譬えで重要なメッセージが書かれてある。それは、「さばきの時」への備えである。 「譬え」は日常生活で起こることを通じて語られている。

47節以下では「地引き網のような譬えである。先日、県北の川で網を放り投げて魚を取っているのを見た。網にかかったが小さな魚は放り出していた。 漁港でと「○○さばき所」というのを見たことがある。 漁師が魚をさばくように、さばかれる時があるということを忘れてはならない。

次に「天の御国の宝さがし」についてである。 最初に「畑にかくされている宝」が出てくる。この当時、戦乱の時でもあり、宝を家ではなくて畑に隠しておくこともあったそうだ。宝物が大きいのか、宝物を盗むのではなくて、持ち物を全部売り払い、畑ごと買うのである。

次に真珠のたとえである。真珠を商人がお宝の真珠を見つけると持ち物を売り払っても、その真珠を手に入れるのである。 そして、最後に登場するのが、「天国のことを学んだ学者」のたとえである。これは、他のたとえと違って、何のことがわかりにくい。 この学者は、蔵の中から新しいものと、古いものを取り出すことができるという。 この「学者」は他のところでは「律法学者」と訳されていることばでる。自分たちの古い教えに縛られて、固まってしてまった世界からの解放が始っているのだ。 またこの「学者」とは「書記」とも訳せる。この福音書の著者マタイは、旧約聖書から自由に引用して、主イエスの新しい福音と結びつけている。だからマタイもこの「学者」の一人ではないか。