礼拝説教「天の父の子となるため」2020年06月21日

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。マタイ5章44,39節

 

これらの主イエスの山上の説教は、私たちの生き方を教えてくれています。

しかしあまりにも水準(レベル)が高いのです。日本の文学界をリードしてきた、芥川龍之介、太宰治がこの聖書の箇所につまずいたところです。

「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」マタイ5章48節 この命令に至っては、「全くの実行不可能だ」という見方も多いのではないでしょうか。

まずこの主イエスの教えが、「山上の垂訓」であり、道徳教育としての命令であるならば、その通り「絵に描いたモチ」どころか大きな重荷となってしまいます。

まず確認したいこと、この山上の説教の最初が「心の貧しき者は幸い」ですというように、「祝福を告げる」ことばで始まっており、まさに「福音」です。福音とは、人間の努力ではできないことが、天の父のめぐみにより、また主イエスの十字架によるあがないによって、実現不可能のことができるようにされることです。

この所を解く一つの鍵のことばとして「完全な」という」翻訳を取り上げてみます。最近、相次いで新しく翻訳されたものもすべて「完全な者となりなさい」です。しかし、「完全な」というギリシャ語には「十分に成長した」という意味があるのです。神さまに対して「十分に成長した」はおかしいので、「完全」であるという翻訳となったのではないでしょうか。

しかし、昔の文語訳では次のようになっています。「汝らの天の父が全きが如く、汝らも全かれ」「全きもの」ということばが日本語として使われているかわかりませんが、ここでの意味をよくあらわしているのではないかと思います。

私たちの天のお父さんが、完全であるとは、私たちの必要に対して、十分を十分に知って答えて下さるお方であるのです。そして、私たちは、恵みによって、その天の父に似るものとされていくのです。