礼拝説教「天の父の家族」2020年09月13日

「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(マタイ 12 章50 節)

主イエスは山上での説教を終えてガリラヤで宣教を始められました。その中で主イエスに対する反対運動があったのです。それが、当時の宗教指導者であった「パリサイ人」です。先週
は、安息日についての論争でした。

今日はちょっと難しい「ベルゼブル論争」です。主イエスがメシアのしるしとして、悪の霊を追い出し、奇蹟をされるとパリサイ人は「イエスが、悪しき霊を追い出すのは、イエスが悪霊の親分ベルゼブルであるからだ」と宣告するのです。「ベルゼブル」とはヘブル語で「ヴァアル」(主人」)「ゼヴール)は「住まい」を意味します。他の説明もあるのですが、主イエスに「悪霊の家長だ」レッテルを貼り付けようしていることなのです。それに対して主イエスは何と答えておられるでしょうか。

「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内がわで分れ争う町や家は立ち行かない。「家長であるベルゼブルが家来の者を追い払っていては、その国や町や立ちゆかないでしょう。」
ここで主イエスは宣言されています。「神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」マタイの福音書では、神の支配を「天国」と表現しているところが多いのですが、ここではあ
えて、悪魔の支配から解放されて、「神のゆるしの支配」に生きているのだと宣言されています。

この話しをした後で、主イエスの家族が主イエスに会いにきた。この時主イエスは、この地上で強いきずなである家族以上に、「父のみこころを行う家族」について宣べられておられます。わたしたちの住まいの家長は主イエスです。この家にいつでも帰り、憩うことができるのだと思いますと素晴らしい恵みと思うのです。