礼拝説教「宣教へのはじめ」2021年01月03日

また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ 3 章17 節 新改訳)

このみことばは、今年の約束のみことばとして与えられたものです。主イエスが宣教を始められる前に、バプテスマ(洗礼)を受けられたときに、「天からの声」としてこの語りかけを受けたのです。
はじめに覚えたいことは、主イエスは罪人の列に並ばれて、洗礼を受けられたということです。その時に「天が開け、聖霊が鳩のように下ってくるのをご覧になった」とあります。これは視覚的なものです。そして、「これは、わたしの愛する子。わたしの心にかなう者である」(口語訳)これは詩篇2篇7節にも出てくる「王としてのメシア」を意味し、「わたしはこれを喜ぶ」これはイザヤ42章1 節に出てくる「苦難のしもべ」としてのメシア」を意味しています。

昨年ノンフィクション本屋大賞を受賞した本の中で次のような文章がありました。
ある診療所で癌患者が潮干狩りを最期にしたいという意志を汲んで、酸素ボンベなどを積んで同行して、報酬をとらない。「どうしてそんなまでにするのですか。」
「僕らは、患者さんが主人公の劇の観客ではなくて、一緒に舞台にあがりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」

私たちも神の国の建設のための舞台にたっています。昨年はコロナとの戦いの中で色々な情報が行き交うなかでの生活でした。今年のこのみことばは主イエスへのことば」ですが、イエス・
キリストにあって神の子とされている私たちも「天からの声」として聞き続けていきたいのです。