礼拝説教「戸をたたかれる主イエス」2021年11月21日

今礼拝では、ヨハネ黙示録からのメッセージである。ヨハネがアジアにある7つの教会への手紙ともいえるメッセージを送った。今日出てくるラオデキア教会は、「豊かさ」の中にあって、「なまるぬい」信仰が指摘されている。

当時この町から「目薬」が輸出されていたようであり、羊毛のブランドの衣料が売られており、豊かさの中にあった。その中で、「自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。3章17節」と指摘されている。

「冷たいか熱いかであってほしい。」とある。「冷たい」「熱い」とは、夏の暑いときの冷たい水、寒いときの熱い飲み物を連想してよい。「生ぬるい」信仰とは「自己満足」に陥っている状態ではないか。主イエスは「貧しい者は幸いである」と言われておられる。苦しさ、貧しさを通じて必死に神に求め、祈る生活であるからである。

このようなラオデキアに対して、栄光の主イエスは何と語っておられるだろうか。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。3章20節

ここで注目したいのは、復活のイエスは戸をたたいて開けてもらわなくても、家に自由に入ることがお出来になるはずである。しかし、私たちの心の戸を叩いて下さり、「主イエスの声を聞いて開ける者に共に食事してくださるという。主イエスと席を共にして食事をすることは何という特権であろうか。この地上での豊かさではなくて、主イエスにあっての豊かさなのである。