礼拝説教「戸をたたかれる主イエス」2022年01月02日

「あけましておめでとうございます」

コロナとの戦いの中でこのような挨拶をするのに少し違和感がある。「めでたい」は「愛(め)でる」にも通じることばであるみたいなので、やはり「素直に、おめでとう」と言いたい。そして何より、主イエスにあるものは「主の約束のことば」があるからだ。

今年の聖句として与えられたものは黙示録3章20節「 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」である。これは黙示録における主イエスのことばである。

昨年、この黙示録を教会学校でも学んだ。この黙示録を記したヨハネが主イエスの弟子の時代に「雷の子」と呼ばれたが、そのヨハネが愛の手紙を書くようになり、またこの黙示録を記すようになったことが話された。

黙示録の中で、色々と栄光の主イエスのことばが書かれているが、この「戸の外に立って、戸をたたかれる」は今の私たちにも迫ってくるではないか。このドアを開けるのは、主イエスではなくて主イエスの声を聞く私たちであることを覚えて行きたい。

黙示録1章3節で「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」とある。

個人の生活で、また礼拝で聖書が朗読され、それに応答することを求めていきたい。毎日、新しいニュースが報道される。コロナ対策でもそれに応答することが必要である。しかし、まず羊飼いである主イエスの声を聞いてスタートしたい。